ぼんやりと視界が明るくなって、
ここは自分の部屋だと分かる。

「ぁ..」
空気のように漏れた声が、
克哉の耳に届いて顔を近づけた。
「...あの人は...?」
「生きてるよ。
 器が壊れたとかなんとかで戻ったけどな」
「...そう」
生きていて良かったと思うのか。
それともまだ生きているのかと思うのか。
二極の正反対の意見が自分の中で複雑な思いを呼ぶ。


両手についた血が無かったのに少し安堵の声を漏らしたが、
それは克哉が拭ってくれたものだと気付くのに時間は掛からなかった。
それでも、何となく少しばかり罪もそれによって拭われたような気がして...
慌てて首を振った。

人を刺してしまったことは事実であり、それからどうあっても逃げられない。

克哉は黙ったままに俯いた。

どうしても他人が傷つくのを見ていられない。
それならば自分が傷ついた方がまだマシだと考えてしまう傾向にある克哉は、
自分のそんな損な性格に溜息をついた。
更に今回においては傷ついたのは眼鏡を掛けた自分であり、
何だか矛盾を感じて苦笑いが零れる。

「夕食食べられるか?」
「ううん、いい...」
「...一つ聞かせてくれ? どうして戻って来た。会社はどうした? 本多は」
優しく問うてくる克哉に、克哉は若干顔を上げて答えた。

「心配だった、んだ...、お前が...。
 なんだか胸騒ぎがして...、だから具合悪いって言って、
 本多に階段の下まで送ってもらって...」
言葉を一つ一つ確かめるように、ゆっくりと話す克哉。
言葉を確かめるだけではなく、<克哉>の表情も伺いながら話している。


克哉はそんな克哉に居た堪れない気持ちになった。
「虫の知らせ」
そんなものあり得ないと思っていた。
克哉のことは好きだと思っているのに、
好きなのに、
気付いてやれなかった自分。
「虫の知らせ」なんてそんな都合のいいこと、あり得ない。

一週間も彼に囚われて、犯されて、それでも自分に心配をかけまいと、
仮面を被り続けた克哉。
それでも気付いてやれなかった自分が憎いと思った。
指を切ったことにまず違和感を何故感じなかった...?


克哉は俯く克哉を抱きしめた。
「んっ...」
驚いて漏らされた声はどこか怯えていて、
ますます克哉は腕に力をこめた。


自然と唇が触れ合うまでに然程時間は掛からなかった。
涙ながらに克哉の舌に舌を絡ませようとする克哉。
それに応えるようにゆっくりと舌を動かす克哉。

言葉なんて要らなくて、
ただぬくもりだけがほしかった。

甘い愛撫の末に、二人は一つになった。
手を重ねて一晩中離すことは無かった。




******


「いってらっしゃい」
「<オレ>」
「ん?」
「ロイドに行っていろ」
「は?」
「太一のところじゃない。ロイドに行け。
 ロイドで待っていろ。1人で居るよりは安全だと思う」
太一を毛嫌いしている克哉のその表情に、
すこし克哉は噴出しそうになる。
眉間に皺を寄せて、若干口を尖らせていう様はまるで中学生だ。
「...うん、分かった」
克哉の提案で、急遽ロイドに居座る事になった。
「うわーいっ、克哉さんだぁぁッ」
入って早々飛びつかれそうになり、
眼鏡の克哉が文字通り一蹴する。
「うべぇぇっ、マジで蹴られた!!」
「ごめんね、太一。お邪魔させてもらう...」
「最近は物騒だからな。
 しかし驚いたな。双子だったなんて」
双子、ということで適当に話を合わせて、
今日から克哉のバイト生活が始まった。


「暇、だね」
「うん、そーなの。いつもこんな感じぃ」
テーブルで、
もう何度拭ったか分からない食器を拭っている。
ムダに光沢を放つスプーンやフォークを並べていく。
「ここのコーヒー美味しいのに」
「マスターのコーヒーは日本一なんだって。
 あ、そういえば克哉さんて料理とかするんだよね?」
「うん、特に最近はずっと家にいるし...」
「で、アールとかいう強盗に押し入られたと」
「うん」
そんなやつ、俺が撃退してやりますよ、
と笑う彼に克哉は苦笑いを漏らす。
そんな容易い相手ではないし、
刺したところでさえ全く変わらない奴なのだ。
「本当に怖いやつなんだ」
「どれくらい?」
「うーん...死神みたいな感じかなぁ」
そう言ったところで、
自分でも感心するほどにしっくりきた。

「にしても暇..。何でお客さん来ないんだろう」
食器拭いにも飽きて、
テーブルに頬を押し付ける二人。
「今流行のメイド喫茶とかでもやれば」
太一がボソリと呟いてはっとしたように顔を上げた。
「克哉さんがメイドしちゃえばきっとすごいお客さん来るよ!!」
「キモイもの見たさに来るだろうね」
冗談交じりに苦笑い。
「違うよ、だって克哉さん可愛いし」
「...嬉しくないって。太一が執事喫茶でもやれば?」
「えー、こんなチャラい執事なんていないっしょ」
チャラいって自覚あるのか。


談笑で始まり談笑に終わる。
掃除ときどき料理、だった今までの生活とサイクル的には変わらなかった。
穏やかな時間が、
まるで夢のように過ぎる。
時折手をみて、
自分の罪を再確認する。
それでも、時流は穏やかこの上なく、
あえて一層その【傷】を浮き彫りにした。







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