「ふう」
深い溜息に、太一がぴくりと反応する。
克哉がロイドでバイトのようなものをしはじめてから一週間が過ぎた。
「どうしたの、克哉さん。疲れた?」
「うん、まあ」
「まだ9時だよ?」

昨晩の行為が激しかったなど、口が裂けてもいえない。
「太一は学校は?」
「2限からだからもうすぐ行く」
「そうなんだ」
「克哉さん、寂しい?」
意地悪そうに笑う太一に、克哉は何も考えずに
「え? マスターがいるから寂しくないよ」
と答え、太一をすこしヘコませた。

ヘコんだ太一を見て、あわあわと
「うん、オレ寂しい、だから早く帰ってきて」
と言ってもあまり効用はなかった。


太一も居なくなり、
静まり返ったロイド。
食器や器具を洗っていく。
こういう地道な作業は好きだ。
やっていると時間を忘れる。

昼ごろになると、客も数人訪れ、
そしてしばらくするとまた静かなロイドに戻る。

「最近客が増えた」
そう声を漏らした店長に、克哉は失礼な声をあげた。
「え」
今日来た客は全部で約10人ちょっとだ。
これで増えたというのなら、
以前は客がいたのだろうか...。
切実に疑問だ。

勿論そこらへんの空気は読むので、聞かないことにしたが、
何故客が増えたのかも気になるところだ。
「何で客が増えたんでしょうね」
笑って言うと、マスターは黙った。

「(あれ、オレ何か変なこと言ったかな...)」
ドキドキとしてしまう克哉に、マスターはふいと克哉から目を外す。
「(...自覚がないのか...)」
克哉目当てに女性客が増えたというのに、
当の本人は全く気付いていないようだ。
マスターは少しばかりおかしくなって、ふ、と笑みを漏らした。
「どうしたんですか?」
まったくわけの分かっていない克哉に、
ますますマスターの笑いはこみ上げる。

そんな時だ。
何か嫌な予感がした。


入り口の方から、何か来る気配がする。
物凄い殺気というか、
オーラを感じる。
思わずドアの方に視線を向ける。

向こうの方に、

紺のスーツと、青いスーツが見える。

「ッ!!!!」
明らかにそれらはこちらに向かってきている。
焦った結果、カウンター下に体を屈めた。
それとほぼ同時だった。

カランカランという鈍い鈴の音と共に盛大な声がした。
「おい、なんで来ちゃいけねえんだ?」
「静かにしないか。...こんにちはマスター。すみません、五月蝿いのを連れてきてしまって」
来たのは本多と克哉だった。

カウンター下に隠れた克哉は心臓が止まる想いだった。
眼鏡を掛けた克哉が、克哉に送ったメッセージだったのだという事に気付いて、安堵した。
「(本多..自重しろ...)」
相変わらずだな、などと悠長なことを考えながら、身を潜めながら二人の会話を聞く。
聞きたくなくても聞えてしまうというのが正しいところだが。

「何でこの店に来たんだ」
「今日はどうも酒って気分じゃなかったしよぉ、
 シックな喫茶店かなんかに入りたかったんだ」
「お前の存在がこの店のシックな雰囲気をぶっ潰しているような気がするのは俺だけか」
「お前だけだろ。
 あー店長、コーヒー頼む」
「...。 俺はいつもので」
「いつもの? お前ここよく来るのか? さっきもなんか親しそうだったし」
「まあな」
マスターがコーヒーを淹れ、テーブルに置いたとき、
丁度タイミングを計ったようにドアが開いた。


「克哉さーんッ、俺最大限早く帰ってきたよー!!」
ビクンと克哉の体が震えた。
「げ」
幸せいっぱいにドアを開けた太一の顔がぱっと変化する。
「克哉、こいつは?」
「ここの喫茶店でアルバイトしてる学生だ」
「親しそうだな」
「親しくなんてねえって!! こんな眼鏡と」
何か騒がしくなり始めた店内の隅で、
1人薄暗い中で丸まって座っている克哉。
「太一、客に向かって失礼だぞ」
そういってマスターが冷静に太一をカウンターの中に招いた。
「ぁ」
「ごめんね、太一」
小声で克哉が謝る。
「謝る事なんてないよ、何で謝んの?」
「いや...」
本多のでかい声を聞きながら、
どうしても罪悪感を感じずにはいられない克哉だった。



狭い空間に二人だけ。
BGMは最悪だが、太一は克哉のにおいをさり気無く嗅ぎながら、
幸せに満ち溢れていた。
「(バイト中にここで克哉さんを押し倒してー...)」
妄想が蔓延る。
「太一?」
ニマニマとしている太一に不審そうに声をかける。
「え?」
思わず太一が立ち上がった。
何故ならいつの間にか自分が興奮してしまっていることに気付いたからだ。
「ちょ、ちょっと待っててね」
そう手で合図するとそそくさとトイレに向かった。
それを眼鏡をかけた克哉がさり気無く目で追い、立ち上がった。

「本多。帰れ」
「は?」
「今すぐ帰ればさっき言っていた丸ごとカレーパーティーに出てやってもいい」
「本当か?」
「ああ。だから今すぐ帰れ。コーヒー代も俺が払う。とにかく早く帰れ。今すぐ直ちに迅速に」

何故か大人しくルンルンと帰った本多に、
つくづくと奴が単純でよかったと思う克哉だった。

勿論自称パーティーになど行くつもりはない。

「<オレ>?」
「ああ、<俺>!! おかえり」
「...ああ、ただいま」
ぱあっと明るい笑顔を見たら、怒るつもりだったのも忘れてしまう。
太一に愛想をふりまくんじゃないと怒ろうと思っていたのに。


「ふー。って、ああああッ」
便所から帰ってきてすっきりした顔の太一の表情が、
コロっと愕然とした表情になる。
丁度克哉は克哉の頬にキスを落としていたところだ。
「何だ、お前。いい子は家に帰る時間だぞ」
「俺克哉さんと4歳しか違わないからッ」
「4歳も、だ。学生と社会人の違いは相当だ」
ふん、と言う克哉に、吠える太一。
「<オレ>は俺のものだからな。手を出したら縛りあげるぞ。
 まあそれはそれで可哀相だからな、優しい俺は、妄想までなら許してやることにした。
 だがそろそろ現実を見ろ。いい年なんだからな」


マスターが顔を出す。
どうも五月蝿いところは苦手らしく、奥へ引っ込んでいたようである。
「なんだ、楽しそうだな」
「ああ、マスター。これ、代金です。ごちそうさまでした。
 それと、後片付けは全部太一がやってくれるそうですよ。
 というわけで俺たちはそろそろ帰ります。ありがとうございました」
営業スマイルで克哉の手を引いて去る。



唐突に行けないと連絡が入り、
いつも以上に力をいれて鍋一杯に作ったカレーをどうするものかと悩んだ末に、
行けないのなら此方から行くまでだと考え出した本多は、
カレーをタッパに小分けにして7つほどカバンに詰め込むと、
克哉宅に向かった。

「何かいやな予感がする」
「いやな予感?」
いつの間にやら枕元の棚からはCDやMDが排除され、
バイブやローターなどのアダルトグッズが支配していた。

ごそごそとそれをベッドの下の非常時用ダンボールに移し始めた克哉は、
克哉に服を着るように促す。
「!! 今すぐ直ちに逃げるぞ」
「逃げる?」
あまり克哉のジャージを好まない克哉であったが、
今回ばかりはそれを克哉に着させると、フードをかぶせて家を高速で出る。
それと行き違いに、本多が克哉宅に到着した。

「危機一髪だったな」
「何が?」
「本多のカレーを押し付けられるところだったんだ」
「...」
思わず笑う克哉。

この後、アパートに戻り、入り口のドアノブの所にタッパの入ったビニール袋がかけてあり、
途方に暮れることになる...。







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