桜の花びらが水色の空を飾る。
春爛漫の清々しい雰囲気を漂わせる社内では、
新人たちも入社して明るい空気が満ちている。

しかしながら、1人浮かない顔をしていたのが克哉だった。
「フライングの五月病か? 佐伯」
御堂に指摘され、克哉は思わず首を横に振った。
「違うんです、ただ...」
「ただ?」
「オレ、春のこの匂いが嫌いなんです」
苦笑して言う克哉の表情には明らかに曇ったものが混ざっていて、
ただの苦笑いではないことはすぐに見て取れた。
「何故」
「大した理由じゃないんです。桜が少しトラウマなんです」
「トラウマ...?」
何がどうトラウマなのか聞こうとした時、
偶然にもその御堂の執務室のドアが叩かれて会話は遮られ、
その話が再び持ち上がることはなかった。
克哉がその話が上がる事を拒んでいたようにも見えなくもなかった。


「...」
ふと空を見上げると、
薄ピンクの花びらがふわりふわりと舞い落ちてくる。
足元にはピンク色の絨毯を作り、アスファルトを舗装している。
「...」
克哉は僅かに眉を顰めた。

小学校の頃、桜散る季節に起きたあの出来事がフラッシュバックする。



信号が青に変わり、克哉は歩き出す。
「(あ...そういえばお昼食べ損ねたな...。まあいいか、お腹あんまり空いてないし)」
書類を持ち直し、ネクタイを手でクイっと締め、慌しく現実へと思考を引き戻す。
「(無駄なことばっかり考えてると御堂さんに怒られちゃうもんな)」
くすりと笑って、克哉は気合を入れなおした。





「ふう」
御堂が腕時計を見ると、既に一時を回っていた。
「もうこんな時間か」
お腹も空いてきた事だし、遅めのお昼をと考えていた。
昼食を抜くとすぐに克哉に叱られる。
健康に良くないと怒ってくれる克哉がとても愛らしい。
そういえば克哉は昼を食べたのだろうか。
誰と? どこで?

はっとして思わず笑みを漏らす。
自分はこんなにも克哉に溺愛している。
誰かにこんなにも夢中になるなんて過去の自分がいつ想像しただろう。





仕事が忙しくて、中々二人で昼食をとるということが出来なくなっていた。
そんなことに少し憤りを感じていた御堂だったが、
毎日家で見る克哉の笑顔にそんなことも忘れてしまう。
繊細で、まるでガラス細工のような克哉の笑顔は、
すぐに壊れてしまいそうなくらい、美しかった。
「たかっ...のりさん?」
思わず抱きしめて首筋にキスを落とす。
「んっ...」
華奢で色白な体に紅い華を落としていく。
あなたは私だけのもの。

「孝典さんっ、冷めないうちに先にご飯食べてください」
照れくさそうに言う彼の額にキスを落とすと、
名残惜しそうに御堂は椅子に腰掛けた。
そして、一つの疑問に行き着く。

「君は食べないのか?」

食習慣には五月蝿い克哉が。
どこか具合が悪いのではと御堂は眉を顰める。
「いえ、今日はお昼を食べるのが遅くて、まだお腹空いてなくて」
「昼...? もうすぐ8時だぞ? 一体何時に食べたんだ」
「えっと...四時半ごろ..か、な」
御堂の顔色を伺うように克哉がぼそりと応える。
「全然大丈夫ですから、この通り元気ですから」
御堂に心配かけまいと笑って見せるが、彼の眉は八の字のままだ。
「ちゃんと自己管理くらい自分で出来ますよ、
 心配しないでください。子供じゃないんですから」
笑って言う克哉に少々の不安は残るものの、そこまで言うのならと
御堂も呆れたように笑って見せた。


御堂が朝起きると、既に克哉は起きてほぼ仕度を済ませていた。
「早いな」
「すみません、今日は九時半までに三鷹さんの所へ行かなきゃいけなくて...。
 朝食は準備してありますから、先に行ってますね。すみません」
「克哉は食べたのか?」
「はい、食べましたよ」
笑って、そして御堂の頬にキスをして、大慌てで出て行った。

ガチャンというドアの閉まる音が、御堂に複雑な感情を呼び寄せた。







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