御堂に迷惑をかけたくない。
足をひっぱりたくない。
御堂のように、何でもこなせる人間になりたい。

ずっとそんなことを考えていた。

一生懸命仕事をして、御堂に追いつけるように頑張った。
誰が見ても克哉は人一倍頑張っていた。

そんなある日の事だった。
突然、仕事中に克哉が倒れたと御堂に連絡があった。
御堂は青ざめて運ばれた先の病院へ車を飛ばした。

検査を終えてでてきた克哉がいつもどおりの克哉で御堂は酷く安心した。
「大丈夫なのか」
そう問うた御堂に、克哉は笑って頷く。
「すみません、貧血らしいです」
「そうか」
「ごめんなさい、心配をかけて」
しゅんと項垂れる克哉の頭を御堂は優しく撫でた。
「なんでもないならいいんだ」
そう言った御堂の言葉に、克哉は笑って見せる。


「孝典さん」
車に乗り込む前に克哉は立ち止まって空を見上げた。
終わりを告げる桜が最後の花びらを踊らせていた。
「オレ、好きかもしれないです。桜」
唐突な彼の発言に御堂は返答に困った。
「そうか」
それでも克哉は最初から返答なんて求めていない様子で、
はい、と小さく頷いた。

「仕事には戻らないで今日は休んでいなさい」
「大丈夫です、オレやらなきゃいけないことがあるから」
「これで明日また倒れたらそれこそ仕事に影響がでるだろう」
「...そ、そうです、ね」
悲しそうに肩を落とす克哉に、御堂はハンドルを切りながら言葉を加えた。
「君はとてもよく頑張っている。今日はゆっくり休みたまえ」
「...はい...」
褒められて嬉しいはずなのに克哉の気分は浮かない。
マンションに向かう道のりの間、ずっと克哉は静かに御堂の横顔を眺めていた。


マンションに着いて、
着替えてベッドに横になった克哉を確認すると御堂は会社に戻っていった。
克哉はベッドの中で眠りもせずにただ考えていた。
先ほど医者から言われた事。

あの診察室での医者からうけた説明が
激しく何度もリピートされた。
そのたびに克哉は身体の向きを変えて一瞬でもいいからそれを忘れようとする。


意味が分からなかった。

自分があと一年で死んでしまうなんて。




帰ってきた御堂を精一杯の手料理で迎えた。
普段と違う事をすれば御堂に様子がおかしいと指摘されてしまうだろう。
それでも少しくらい、特別な事をしてあげたかった。

あと一年。
あと一年で、自分はもう御堂の横にはいられないのだから。





「 」
医者の告げた言葉は克哉には理解できない言葉だった。
聞いたこともないその病名は、どうやら記憶に障害をきたすものらしく、
最終的に生きる事すら忘れさせてしまう病気、というのが一番手軽な説明だろう。
まだ治療法がはっきりしていないその病気は、
克哉に一年という猶予のみを与えるだけだった。
更にきっと、その一年のうちで克哉は全てを忘れていく。

愛する御堂の事も。




「克哉?」
御堂の声に克哉はハッとした。
「どうかしたのか? まだ体調が優れないか」
「いえ、大丈夫です。全然...」
久しぶりに食事をした。
いつも食事を忘れてしまう。
そう、これも一つの症状だったのだ。


「それより、今週末どこかへ行きませんか。気分転換に」
「そうだな」
「あ、オレ、御堂さんの誕生日に行った京都へ行きたいです」
「京都か。そうだな、半年ぶりに行ってみよう」
今思い出を振り返ったところで最後には忘れてしまうのに
過去を手繰り寄せるように、克哉は大切なものをかき集めるのに必死だった。



週末、新幹線で京都に着くと、御堂に気付かれないようにこっそり、足を運んだ店のカードを集めた。
店の名前や住所、電話番号などが記された小さな紙を手帳に挟んで、
宿で御堂が居ない間に感想等を書き付けた。
「来年の御堂さんの誕生日にはもう来れないのかな」
そう呟いた時、目尻が急激に熱くなって、克哉は慌てて袖で目を擦った。
手帳をしまって、大人しく本を読みながら御堂が戻るのを待つ。
その本の一箇所を何度も克哉は繰り返した。
それは中学校の頃学校で学んだ万葉集の中の一句だった。
「桜花...時は過ぎねど見る人の...恋の盛りと今し散るらむ」
何度も何度も繰り返して、
桜と、自分を重ねてみた。







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