暖かい日々。
冬で外はしんと冷たい空気に満ちていたが、
克哉と過ごす日々は暖かいものだった。

ギリギリまで私の家で過ごそうと、
入院を拒んだのは克哉だった。
極限まで思い出を作っていたいという克哉の望みだ。
私はできるだけ克哉と一緒にいられるように
有給休暇を混ぜながら毎日を過ごしていた。

最初は迷惑をかけてごめんなさいと
目に涙を浮かべながら謝っていた克哉だったが、
それでも私は克哉と一緒にいたかったから

最期まで克哉といたかったから


自分でも笑ってしまいそうになるほどに彼を愛していたから。




それでも、
本当に病気は、そんな私たちを嘲るように
どんどんと克哉の体を蝕んでいった。




余命三ヶ月と少し。
朝起きると克哉の様子がおかしかった。

ぽわんと空を見上げたまま、虚ろな瞳で何かを呟いているように見えた。

「克哉?」
「......っ、ぁ...孝典さん...」

一瞬彼が、<自分>を忘れていたように見えて
私は青ざめて彼を無理矢理病院に連れて行った。


そろそろ二人暮しの限界のときが来たのだった。
克哉の中のカウントダウンはもう秒読みで
私は拳を握り締めた。


マンションに入院の準備をするために戻ってきた。

克哉の背中に、私は何も言えなかった。


「片付けなきゃですね」
克哉の無理矢理作った笑顔に、胸が抉られるような気がした。
「片付けなくていい。入院の支度だけだ」
「...ぇ...」
「戻ってくるんだからな、克哉は」

「...でも...」
「治るんだから、克哉は」
そんな駄々を捏ねた所で何もならないことは分かっているのに
この年になってそんな我侭を言う自分に呆れてしまう。
克哉は複雑そうに笑って、「はい」と頷いた。

「メモ帳がもう少し要るだろう」
「あ、はい」
克哉の引き出しを開けて私は固まった。
「...どうかしたんですか?」
我慢していた涙が、十数年ぶりに溢れ出る。

机の中には、沢山の紙の切れ端が入っていて、
私の名前がぎっしりと書かれていた。

忘れないように、忘れないように

喉の奥が詰まって、言葉にならない。
嬉しかった。
そして悔しかった。


近寄ってきた克哉を、私は強く抱きしめた。
今が一生続けばいいと本気で思った。

もし克哉がずっと健康でそばにいてくれるのなら
地位も名誉も要らないと思った。

そんなありもしない「もしも」を
何度も何度も頭の中に展開しながら
克哉のこのぬくもりと感触をこの胸に刻みつけようと
必死で抱きしめた。






病院の独特なエタノールの匂いが、
ここが病院だということを激しく主張していた。
その主張は私の感情を逆撫でた。

「これで大丈夫だ。何かあったらすぐに電話しろ」
「はい」
病室を出るのが嫌だった。
もし明日来て、克哉が私を忘れていたら?
そんな事態を私は畏怖していた。


毎日毎日、第一声をかけるのが怖かった。
「、か、克哉」
「あ、御堂さん。お疲れ様でした。どうでした、仕事」
「ああ」
笑ってくれる克哉に安慮した。

「何か足りないものがあったら言え」
「孝典さん。孝典さんが足りないです」
「...克哉...」
真剣に私が足りないという克哉の唇に私はキスを落とした。
嬉しそうに克哉は照れ笑いをしながら、
自分の唇を名残惜しそうになぞった。

そんな克哉の我侭が、私の生き甲斐のようなものだった。










病は、そんな風に私たちが笑っていることを許さなかった。




「か、克哉。大丈夫か」
いつものように病室の扉を開けて、克哉の名前を呼んだ。
「...ど、どちら様ですか?」
持っていた荷物がどすっと音を立てて床に落ちた。

頭が真っ白になった。
こうなることは分かっていたのに、
脳がそれを受け入れない。

銃で頭を撃ちぬかれた気分だった。
むしろ誰か私を殺してくれとさえ思った。
今のは悪夢だ。
きっと夢だ。

黙ったまま震えている私を、
克哉はきょとんと不思議そうに見つめている。
その瞳が、今が現実であり、真実であることを教えてくれた。

耐えられなくなった。
忘れられた。
今の克哉は私を愛してはくれない。
好きだとも言ってくれないし、
名前すら呼んではくれない。



私は思わず、病室を飛び出した。







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