「おはよう」
「っ、おはよう」
休み明けの日、華月に声を掛けられるなど思っても見なかった彼は
上擦った声で返答した。
しかし全くゴールデンウィーク中のあの出来事について
なにも触れてこなかったので、
逆に刺激しても、と祐李自体その話題に触れることを避けた。

華月に対しての「特別な感情」というのは昔からあった。
大好きで誰にも渡したくない。
特に葉月に取られることだけは、許せなかった。
葉月がピアノを始めたから、
それに対抗して祐李もピアノを習い、
葉月が50mを6秒で走りきれば、
祐李は負けじと長距離走で3分台をたたき出した。

絶対に葉月にだけは負けたくない。


「ねえ祐李」
「ん?」
どう声を掛けられても必ず上擦ってしまう声。
いつ決別の言葉を告げられるか怖くて仕方がなかった。

「僕さ、ずっと祐李は葉月が大好きなんだと思ってた」
「...へ?」

「だって、ピアノも一緒に習ってるし、二人して走るの速いし
 僕が見てる限り、ずっと祐李は葉月を見てるし」
見ていたんじゃなくて、睨みつけていただけとか。
「僕は祐李が好きだよ。でも友達以上にはなれないよ」
「男同士だもんね、当然――」
「そうじゃない、もし仮に祐李が女だったとしても
 僕は誰も愛せない」
廊下から窓の外を見つめて、
二人で並んで風にあたる。

こんな風に二人きりで話したのは、どれくらいぶりだろう。
なんの卑しい感情も持たずに、話したのは。

いつから自分はこんなに醜くなってしまったんだろう。

春の心地よい風がどこからともなく花の薫りを運んでくる。
「祐李にだけは言っておきたかったんだ。
 僕ね、人間とは、違うんだ――」
風に靡いた華月の髪。
そのまま風によってどこかへ連れ去られてしまうのではないかと思うほどに
それは儚げで

「...そう」
それしか言わないでおいた。
知っていたことは、内緒にしておく。
「それでも僕は、華月が好きだよ」

いつか自分も、華月に本当の事を言うことができるのだろうか。


* *


聞いた。

華月と祐李の話をついうっかり聞いてしまった。
盗み聞きをするつもりなんてなかった。
ただ、聞えてしまっただけ。

美裕は廊下を走って教室からできる限り離れた。
「...誰も愛せない?」
それは誰にも恋愛感情を抱かないということ?
そういう感情を抱けないということ?
最後まで話を聞けばよかった気がする。
何故愛せないのか。

そんなことを気にする自分が、実は華月を好きだったと気付くのに
時間はさほど掛からなかった。
「...私が、誰かを」


男はいつもオモチャ。
財布に使って、勉強教えてもらって、
つまらない時の暇つぶし。

幼い頃から転勤の多かった美裕にとって、
友達なんて一時のもので、全てが「使えるか」「使えないか」の存在だった。
美人端麗な彼女は男子からも好かれ、
そういうものに困ったことは一度もない。
自分から告白したことは勿論ないし、
自分が誰かに惚れるなんてことは一度もなかった。

この学校に来た日、隣の席になった華月は美裕に笑った。
「分からないことあったら聞いてね、頼りないけど...」
綺麗な顔立ちの反面、トロそうな彼に、
美裕は彼を利用目的に使ってやろうと思った。
彼女も居ないと聞いたし、
成績優秀、スポーツ万能、バイオリンが得意で、ファンクラブさえもある彼は
決まって弟の葉月と幼馴染の祐李といるだけで
更に葉月と祐李はよく小田原と話し込んでいるので、
1人で居ることが多く、今からでも十分に自分の下に来させることは出来るだろう。
そんな気持ちで付き合い始めた相手だったのに

いつから、好きになっていたんだろう。


* *


「あ、美裕さん」
昼から一度も話していない美裕に声をかけた。
無邪気な笑顔を浮かべて手を振る華月。
「...ぁ...」
胸の奥が締め付けられた。
こんな感情、知らない。
美裕は今来た道をUターンして華月に背を向けて走り去った。
「...美裕さん?」

華月は吃驚して立ち止まった。
「どうした、華月」
「あ、葉月。突然美裕さんが」
「急いでたんじゃないのか? 部活だからな」
「そうかな...」
「ほら、部活いくぞ。お前早くヴァイオリンとって来いよ」
「うん。あーあ、いいなぁ、ピアノは運ばないから」
静かに狂いだした歯車が
針を徐々におかしな方向へと導いていく。

まだそれに誰も気付かない






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